第307回 書評『史上最高の投手はだれか〈完全版〉』

書評

2023年6月29日現在、メジャーの大谷翔平選手はすでに27号ホームランを放ち、ホームランダービーのトップを走り、投手として7勝3敗です。ロッテの佐々木朗希選手にしても160㎞は当たり前に出しています。

年々レベルが上がっている野球界ですが、なんと史上最高の投手が戦前のニグロ・リーグにいたというノンフィクションです。その選手の名前はサチェル・ペイジ。日本ではほぼ知られていません。ウッディ・アレンの自伝にサチェル・ペイジの「振り返るな。追いつかれるぞ」という名言が載っており、私ははじめて知りました。

著者の佐山和夫さんも、1982年6月10日の『産経新聞』での訃報記事を読んで、サチェル・ペイジのことを知ります。その記事には火の玉投手ボブ・フェラーが「自分の速球がまるでチェンジアップに見えるほどペイジの球は速かった」と述べ、42才で大リーグ入り、大リーグ最後の登板は59才のとき、71年に黒人として初めて野球殿堂入りと載っていました。

佐山さんはその記事に魅せられアメリカに飛び、ペイジの生活拠点となっていたカンザスシティに行きサチェルの生前を知っている関係者に取材し、野球殿堂図書館で数週間、資料を漁ります。それを基にして1984年に書かれたものです。当時、第3回潮賞のノンフィクション部門で受賞しています。

35年後に、その後に判明したことなどを含め、大幅に追加・修正したものがこの〈完全版〉となります。

黒人のため大リーグ入りは42才と遅れますが、ニグロ・リーグを含め2,000勝はしているそうです。1934年には105戦して104勝、オフシーズンには大リーガーチームを完封しています。選手寿命は17才から59才と途方もありません。

野球殿堂入り決定後のインタビューで「私は人種差別を受けているとは思わない。私自身はつらくも何ともなかった。私は私の世界で満足していたからだ」と応えています。スーパースターの貫禄です。たまたまですが、ブログアップの6月8日はペイジの命日でした。

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